アイルランドの国民投票結果から見る日本のケインズ政策待望論

アイルランドのEU財政協定を問う国民投票

アイルランドで 5/31 に EU 新財政協定の是非を問う国民投票が行われました。その結果は賛成票が 60.3 % の過半数を獲得し、同協定は批准されることが決まりました。簡単に言えば、アイルランドは欧州の緊縮財政路線に「YES」の答を出したのです。

財政破綻したアイルランドには二つの選択肢しかありませんでした。すなわち、同協定を通じて EU からの融資を受ける代わりに国内の緊縮財政を進めるか、あるいは同協定を受け入れず自力で財政破綻の焼け野原から再出発をするかの選択です。後者を選択すれば EU からの融資は受けられません。そして、EU から距離を置くことにもなります。その代り、他の国から財政再建路線を強制される謂われもなくなります。

借金で首が回らなくなった人が、親族からお金を借りる代わりにお金の使い道を徹底的に管理されるか、親族から破門された方がいいかの究極の選択です。アイルランドは前者、すなわち、あくまでも EU という紐帯の中に止まることを選択しました。

アイルランドの国民投票の結果について、私はいろいろと想像してしまいます。欧州は不況の真っただ中にあります。そんな中で緊縮財政を進める。これはアイルランドの国民にとって凄まじい痛みを伴うものでしょう。インフルエンザで弱っているところに外科手術を施すようなものです。拷問に近い苦しみだと思う。ですが、アイルランドの人たちは緊縮財政を進めることを選択しました。その気持ちの事を私は想像してしまうのです。

緊縮財政と小泉構造改革

今から述べることは乱暴な対比なのかもしれません。ですが、欧州で進められている緊縮財政路線とはどのようなものかを肌で理解しようと思えば、日本で行われた小泉構造改革の事を思い浮かべれば良いのではないかと私は思います。

あの時、何故、国民は小泉構造改革を支持したのでしょうか。その理由の 1 つは、国や政府が「大旦那」役を演じて大盤振る舞いすることの弊害を多くの人が感じていたからではないでしょうか。政府が大型の公共事業を行ったり、ばらまき型の政策を進めることは癒着や利権を生みます。しかも、その金額が余りにも巨額であるため、そこで行われる不正は余りにも醜悪なものになります。政府が進める非効率な事業の陰で明らかに誰かが甘い汁を吸っている。そんな状況に国民が腹を立てていたから小泉構造改革が支持されたのではないでしょうか。

実は欧州も同じなのではないだろうかと私は想像してみます。国や政府が大きな財布を持ってばらまき型の政策を進める。そこでは当然不正や腐敗が進んでいたはずです。そんな光景をアイルランドの人たちも見てきたのではないか。そして、これでは駄目だと感じるアイルランドの人たちが多かったのではないか。そして、アイルランドの人たちは緊縮財政を進めることを選択した。「大きな政府」の否定、「小さな政府」の選択です。

アイルランドの国民投票について、そんなことを私は想像してしまうのです。

日本における緊縮財政 vs 財政出動

今、欧州は不況の真っただ中にあります。それにもかかわらずアイルランドの人たちは緊縮財政を支持しました。これは注目すべきことだと私は思います。

不景気の時には政府が積極的に財政出動を行うべきである。そのように主張する人は多いと思います。フランスは明らかにこの路線に舵を切ろうとしています。その流れをアメリカも歓迎しています。また、日本に関しても、国内で積極財政を進めるべきであると主張する人がいます。日本ではデフレ脱却というスローガンで語られることが多いです。

私も今の日本の状況では政府の役割に期待しています。もう少し政府が積極財政をするべきだろうと思う。この不況下では政府が「非合理的な消費者」を演じるべきだと思います。とにかく、もう少し有効需要を無理矢理にでも増やさなければ経済が壊滅してしまう。金の卵を産む鶏を殺しちゃいけない。私はそう考えています。

ですが、その一方でアイルランドの人の事を思い浮かべます。そして、小泉構造改革の時の人々の振る舞いの事を思い出します。また、私は大阪に住んでいますが、橋下市政のもとでの大阪経済の実態の事も考えてしまいます(最近のとある事件で大阪が生活保護天国であることがバレつつありますね)。

効率性の世界の住人(すなわち民間)が不景気で苦しむなか、非効率性の世界の住人(つまりは政府と政府に依存する存在)はまだまだ安穏として生きながらえている。生活者の実感としては、そのように感じることが結構あります。そんな中で政府支出を増やしても後者を利するだけではないか。政府支出という甘い汁にさらにシロップを加えるだけではないか。経済対策と称して社会の非効率性を維持・温存するだけではないか。

このように考えてしまうと私は日本のケインズ政策待望論を一概に礼賛できなくなってしまうのです。