若年スペシャリストが使えない中高年に負ける理由

上司に対する愚痴

Twitter とかで、よく「上司が無能すぎて使えない」みたいな話がありますね。こんな話は大昔からありました。某巨大掲示板でも中高年の上司に対する罵倒の書き込みは昔からありました。それ以前でも、日本のサラリーマンが飲み屋で会社や上司の愚痴をこぼすというのは実にありがちな絵でした。結局、いつの時代でも部下から見れば上司というのは無能に見えるということではないでしょうか。

私も結構いろいろな会社を見てきましたが、「明らかに仕事をしていない中高年」というのは確実に存在します。確信犯的に、つまり実際の実力以下の仕事しかせずにサボっている人も中には存在します。そうかと思えば、本当に実力が追い付いていない人もいます。後者はちょっと可哀そうになります。

若年層にも様々な人がいます。才能のあることが他人から丸分かりであっても、文句を言わずに下積みと割り切って瑣末な仕事をする人もいます。その一方でプライドだけ高い人というのもいます。本当に天狗の鼻だったらへし折ってやろうかとも思うのですが、そもそもがぺしゃんこの鼻なのでへし折りようがない。これは結構困ります。

日本の社会において、有能な若手と無能な中高年という対立図式は少なからずあります。無能な中高年を差し置いて、有能な若手を抜擢するべきだという考え方もあると思います。ですが、それでもやっぱり、日本においては有能な若手は無能な中高年に勝てないのです。

増える若年スペシャリスト

現代の若年層は高い教育を受けています。そして高い技能を身につけています。

BL201206-16-01.png

上図は大学(学部)と大学院の在籍者の推移グラフです。1990 年から見ても、大学以上の高等教育を受けている人は年々増え続けています。また、大学院に進学する人の数も増え続けています。しかも、子供の数が減少する中で高等教育を受ける人の数が増加しているのです。このことは若年層が高い専門性を持っていることを示すものです。

もちろん、これは文部科学省が進めた大学院重点化政策の結果でもあるでしょう。国が政策として高度な専門知識を持った人材を育成しようとしたのです。結局、この政策そのものは実を結びました。多数の高度人材は今でも確実に輩出されています。しかも大量に輩出されています。単に高等教育を受けた人の数を増やしたかっただけなのであれば、これは大成功と言えます。

また、別の例を出してみましょう。公認会計士の登録者数の推移を見てみます。

BL201206-16-02.png

いかがでしょうか。公認会計士も「量産」されているのです。特に 2000 年に入ってからの公認会計士の増加速度に弾みがついています。これは国が積極的に公認会計士を増やそうとした結果です。こちらについても国が何をやりたかったのかはよく分かりません。単に公認会計士を増やしたかっただけなのでしょうか?もしそうであるならば、その目的は達せられたことになります。大成功です。

ただ、公認会計士が大幅に増えた結果、仕事にあぶれる人も出てきました。せっかく公認会計士のお墨付きを貰っても仕事が無ければ意味がありません。これと同じことは司法試験合格者にも当てはまります。弁護士になったはいいけれど仕事が無いという話はよく聞きます。いつまでも「過払い請求」バブルで食えるわけもなく、新たな飯のタネを探している状態のようです。そんなところまでアメリカの真似をしなくてもいいと私は思うのですが…。

ここで言いたいことはこういうことです。つまり、若年層は高い専門知識を持ったスペシャリストが増えているということです。そして、その若年スペシャリストは仕事が無くて困っている。一生懸命に能力獲得に投資をしたけれど、その投資が報われずに困っているという図式です。

そんなの自己責任でしょう?「専門」知識に投資したつもりだったけど、蓋を開けてみれば「無駄な」知識だったというだけでしょう?残念でした、外れくじを引きましたね!そういう反応もあるかもしれません。ですが、この現象を社会的な見地から見れば、高い専門知識を持った若い人たちの活力が活かされていないということです。これは社会的損失以外の何物でもありません。

企業は人材に対する長期投資の償却が終わっていない

こういう話をすると、またもや、無能な中高年をクビにしろ!有能な若年スペシャリストを雇用しろ!という過激な発言が出てくることが予想されます。ですが、それでもやっぱりうまく行かないのです。現状の技能の需給バランスが実はそれなりに均衡しているからです。もう少し詳しく見ていきましょうか。

技能には2種類あります。まず、その企業にしか通用しない技能です。もうひとつは、個々の企業に依存しない一般的な技能です。前者を「特殊技能」、後者を「一般技能」と呼ぶことにしましょう。

「特殊技能」は、例えば、その企業内での会議のしきたりとか、その企業では普通とされている「特殊な」文書の作り方などです。その他、その企業内の人間関係に精通しているといったことも「技能」になります。山田さんと田中さんは仲が悪い、岡田さんと山下さんが実は付き合っている、みたいな人間関係のドロドロした部分に関する知識を持っていることすら技能です。

一方の「一般技能」とは、EXCEL の操作の仕方であったり、つまらない例で言えば名刺の渡し方であったりします。金融工学の知識とか統計学の知識といった、一見したところ非常に専門的に見える技能であったとしても、各企業にとっては別段特殊な技能でもなんでもないので「一般技能」ということになります。若い人たちが身につけたスペシャルな技能と言うのは、実はこの「一般技能」にあたります。

「一般技能」というのは比較的簡単に身につけることができます。より正確に言えば、「一般技能」を身につける機会というのは広く門戸が開かれています。どういうことかと言えば、「一般技能」というのは公的な学校などで教育することができるのです。一方の「特殊技能」というのは簡単に身につけることはできません。ある企業にとっての「特殊技能」というのは、その企業で長年にわたって形成していくしか方法がないものだからです。

このことは、逆に言えば、企業が従業員に「特殊技能」を身につけさせようとすれば、独自に教育するしか方法がないということでもあります。他の誰も「特殊技能」の教育はできません。だから、その企業が自分で頑張って教育しないと仕方がないのです。

「特殊技能」は投資です。企業にとってみれば、従業員の「特殊技能」の育成に多額の投資をしてきたという思いがあります。企業が一生懸命に従業員を育てたのです。逆に、従業員の側から見ても「特殊技能」を身につけることは投資です。「特殊技能」を身につけるということは、従業員にとっては、その企業と一蓮托生になるということです。従業員から見ても「特殊技能」を修得することは意外と覚悟がいることなのです。他に逃げ場がなくなるということだからです。

「使えない中高年」というのは本当の意味で「使えない」わけではありません。その人たちというのは「特殊技能」のカタマリなのです。企業から見れば、その人たちというのは特注のスーツのような存在です。企業にとってジャストフィットな人材なのですね。従業員の側からしても、せっかく投資した「特殊技能」を使って生計を立てるのは理にかなったことです。ある意味で、お互いに満足しているのです。

結局、社会的に見れば、企業と従業員が長年にわたって投資し続けた「特殊技能」の償却が終わっていないということです。企業の側もまだまだ投資の果実を享受したい。一方で、中高年の従業員の側も思いは同じです。お互いに「特殊技能」の償却期間が終わるまで、投資の旨みを味わい尽くしたいのです。

そんな中で若年スペシャリストが、自らの専門性という商品を売りに行っても簡単には売れません。その人たちは首をかしげるでしょう。こんなに専門的な技能が何故売れないのだろう?と。ですが、その技能は「一般技能」なのです。社会的に見て、「特殊技能」の償却期間が満了するまでは、「一般技能」という新商品が売れる可能性は今後も低いままでしょう。