日本の大学は「低度」人材養成所

「ユニクロが大学1,2年生に内定」が話題に

なにやら、ユニクロが大学に入ったばかりの1,2年生に内定を出したことが話題になっているようです。

大学1・2年生に内々定 ユニクロ、約10人に[朝日新聞 : 2012/06/08]

先日、このブログで日本の企業が若年「高度」人材を雇用しない理由を考えてみました。その理由として、日本の企業が行った教育への投資が回収しきれていないからではないかという観点を提示してみました。このユニクロの記事は先日の記事と深い関連があるように思います。もう少し掘り下げて、この問題を考えてみたいと思います。

企業の人材観と大学教育

企業が人材を獲得する方法は 2 つしかありません。まず、既に十分な能力を持った人材を市場から調達する方法です。もしくは、未完成な人材を自分たちの手で育てるという方法です。後者は、自らが人材を教育して、十分な能力を持った人材に育てていくということを意味します。そして、ユニクロのアプローチはまさに後者のアプローチであると言えます。

時々「人財」という表現を耳にすることがあります。わが社にとって人は材料などではなく財宝である、というわけです。まぁ、おためごかしではないことを祈りますが、日本の場合、このような発想をする企業は比較的多いと思います。「人は生垣、人は城」と言った武田信玄しかり、「金を残すは下、事業を残すは中、人を残すは上」と言った後藤新平しかり、人材に重きを置くというのは極めて日本的なやり方です。

「人財」という発想が根底にある場合、企業が人材の教育に熱心になることは合理的です。企業の競争力の源泉が本当に人にあるならば、人に対する投資、つまり教育に力を入れるというのは当然の行為です。

ここで面白いのは、何が「高度」なのかの定義が問題になることです。「人財」という価値観に従って人材教育を引き受ける企業から見れば、自らの価値観で育て上げた人材こそが「高度」人材になるということです。それ以外の人材はどうしても「低度」人材ということになってしまいます。

つまり、大学への進学者が増えたり、大学院進学率が上がったとしても、日本の大学から輩出されてくる人材は、企業から見れば「低度」人材ということになってしまいます。また、会計大学院や法科大学院を雨後のタケノコのごとくに増やして、結果として会計士や法曹人材を増やしてみても、企業から見れば「低度」人材が増えただけということになってしまいます。

残念ながら、日本の大学は「低度」人材養成所なのです。

大学の競争相手は企業

このように考えていくと、さらに面白いことがわかります。確かに大学は教育機関であって、人材の育成がミッションです。ですが、企業も教育機関の役割を自ら果たそうとしているわけです。このことは何を意味するでしょうか。大学の競争相手は他の大学ではないのです。まさに企業こそが大学の競争相手であるということです。

このような観点から言えば、日本の大学というのは全く競争力がないということになってしまいます。これは由々しき事態ではないでしょうか。企業の教育サービスの質の方が圧倒的に高く、日本の大学の教育サービスの質は低い。そのうちに日本企業がこういうことをやり始めるかもしれません。大学入学と同時に優秀な人材に対しては 4 年間の学費を我々が支払います、と。そのかわり、余計なことを教えないでください、4 年間学生を預かって自分たちで教育します。だから、4 年後に学位だけ出してください、と。

これは教育サービスの領域で大学が企業に食われているという図式です。良いか悪いかは別にして、現状、こういう図式が成り立っているというのは事実だと思います。

日本の大学はもっと頑張るべきではないかな、と思わなくもありません。企業にお株を奪われてばかりでいいのですか?逆に日本の大学が企業を喰ってしまうという図式だって起こってもいいのではないかと思います。日本の制度上、それはやっぱり無理なのですかね?