「壮大な実験」では済まされない欧州の問題

あまりにも壮大過ぎた実験

ユーロというのは「壮大な実験」であって云々…。ユーロと欧州統合について、しばしばこういう言い方がされる場合があります。欧州統合は所詮は「壮大な実験」であり、うまく行くはずがない。だから、そのうち解体されることになるだろう。このような語り方をされることは日本でも非常に多いと思います。

確かに欧州統合は「壮大な実験」だったのかもしれません。欧州は統合の夢を見ました。しかし、欧州は余りにも多様すぎました。そのため、各地域の政治主体が独自の財政主権を持ちながら、通貨だけをユーロという形で統一するという、実に不格好な統合になってしまいました。そして、今、その実験は再び統合への軌道に回帰するか、あるいは本当に失敗に終わってしまうのかの岐路に立たされています。

ただ、問題なのは、その実験が他人事で済まされる問題なのかどうかということです。欧州の実験は余りにも巨大なものです。それを評論家的な視点から「壮大な実験」と切って捨てるのは、少々認識が甘いのではないかと思わざるをえません。欧州統合という「壮大な実験」の顛末は、もはや欧州に住む人たちだけの問題ではなく、それは既に私たち自身の問題でもあると思うのです。

欧州版グローバル化の終焉

また、欧州統合プロジェクトというのは、彼の地から見れば、「グローバル化」以外の何物でもありません。

以前は国という単位で全てに制約がかかっていました。ですが、次第に欧州では国境の意味が薄れていき、人々の往来が激しくなりました。人が移動すれば物も移動します。物の移動は通商を活発にします。そして、物の動きと連動するようにお金の流れも活発になります。当然情報も自由に欧州全体を駆け巡ることでしょう。ヒト・モノ・カネ・情報、全てが「自由」に欧州地域を闊歩するようになったのです。それが「グローバル化」ということでしょう。

しかし、今や欧州はお互いの信頼を失いつつあります。欧州は財政と金融の問題を抱え、欧州は分裂の危機に立たされています。かつて後退したはずの国境という垣根がお互いを保護する盾として再び機能し始めるようになりました。端的に言えば、この流れは欧州版グローバル化の終焉を予告するものに他なりません。

これは他人事ではない

私は欧州統合の問題を「壮大な実験」と他人事のように考えるわけにはいかないと思います。

まず、その実験が余りにも「壮大過ぎる」という点です。欧州統合の失敗は、欧州の地のみに影響を限定できるものではありません。欧州の動揺は遠く離れた日本にも甚大な影響を与えます。今でも為替が円高に振れるという、現在の日本にとっては望ましくない影響に悩まされています。そして、下手をすると数カ月遅れで日本国内産業の受注激減という形で、日本社会が大慌てになる可能性は今でも十分に考えられます。

また、欧州の問題はグローバル化の問題と表裏一体であるという点です。もし仮に欧州統合プロジェクトが頓挫するようになれば、それはグローバル化の後退ということを意味します。

私は基本的にグローバル化に賛成です。私は日本人が世界に出ていくことに基本的に賛成です。そして、世界中の人が日本に来てくれる事も望みます。世界中の人々が力を合わせて問題の解決をするというビジョンを夢見ています。

ですが、もしも欧州が分裂するようになってしまえば、それは「ほら、やっぱりグローバル化は駄目なんだ」という話になってしまうと思います。その揺り戻しが私は恐ろしいのです。

既に世界は繋がっている、そう主張する人は一杯います。もしも本気でそう思っているならば、世界の問題も自分自身に引き受けなければならないのではないでしょうか。