働き方改革で生産性向上が尻すぼみになる理由

生産性向上は日本経済最後のフロンティア?

生産性向上に関するこんな記事を読みました。

日本は、ついに「1人あたり」で韓国に抜かれる -生産性向上を阻む「昭和の思考」という呪縛(東洋経済ONLINE)

一人当たり生産性で韓国に負けるかどうかという面に関しては、私はどうでもいいかなという感想です。問題は他国との勝ち負けなんかではなくて、自分自身の生存にかかわる問題としてとらえた方がよいと考えています。

まぁ、よくよく読むと、韓国云々は中心的なテーマではなく、この記事の結論も同じようなことを書いています。曰く、社会保障を続けるならば生産性向上は不可欠ですよ、と。

生産性向上は社会を豊かにする

GDP = 人口 × 生産性 という式があります。この式が言わんとすることは、GDPを上げるには、人口を増やすか生産性を高めるかしないとダメだよ、ということです。

日本は少子高齢化の真っただ中にあって生産年齢人口が目減りしています。それはこのブログでも調べて記事を書いた通りです。いまさら、人口倍増でGDP倍増だ!みたいな作戦は取りようがありません。とすれば、GDPを向上させようとするならば生産性を高めるしかないわけです。

GDP は社会の豊かさの指標となりえます。生産性向上は社会を豊かにする施策だといってもいいでしょう。

何故生産性は向上しないのか?

でも、今の日本ではそれほど生産性向上の掛け声は高まってこないと私は思うのですね。生産性向上の果実の受益者は誰になるのか?をよくよく考えないといけません。そうやって分析を進めると、日本で生産性がなかなか高まらない理由は二つほど考えられるのです。

・生産性向上のインセンティブの問題
・生産性向上以外の抜け道の問題

生産性向上のインセンティブがない

大枠の物語はこんな感じになります。まず、今の日本では少子高齢化によって市場全体がシュリンクしています。そもそもの買い手がいないわけです。そうすると、その需要を狙って商業活動をする企業も元気がなくなってきます。誰も買わないのにモノを作ろうなんて企業は考えません。そうすると、企業の側でも労働力を調達する意欲が減退します。

確かに今の日本では生産年齢人口が減っているので労働力の需要に対して供給量も減っているのですが、総合的に両者の力関係を考えれば、生産性向上の果実は労働力提供者側ではなくて企業側に落ちてしまう図式になります。

生産性向上の果実を得ることができないにもかかわらず、労働力提供側が必死で生産性向上に取り組むかといえば、そんなことを期待するのは無理スジというものでしょう。

日本で生産性が向上しない理由の一つは、こういったインセンティブの問題が裏側にあります。

生産性向上以外の抜け道がある

企業側の目線で考えれば、なにも人間の生産性を高めなくてもいいじゃないかという発想ができるような社会情勢になってきました。

最近はロボットとかA.Iの進歩が著しく、人間の仕事をロボットで代替できる世の中が視野に入ってきました。そうすると、人間の生産性を高めるだけが問題解決の手法ではなくなります。こういう抜け道のあることが生産性向上の意欲を削ぐ一因となります。

また、GDP=人口×生産性 なのであれば、生産性の高い移民を受け入れた良いのでは?という考え方だってあるわけです。そして、移民の受け入れという流れはそろそろ議論が始まるでしょうし、宣伝も盛んに行われるようになるでしょう。次第に移民受け入れという選択肢のハードルが年々下がってきて、今の日本の中にいる人たちで頑張って生産性を高めるという流れは先すぼみになる可能性は大いにありえます。

働き方改革の成果は出るか?

このように見ていくと、市場メカニズム的に言えば、今の日本で生産性向上という流れが加速するとは考えにくいでしょう。

最近ニュースを見ていて気が付くのは、政府の働き方改革の話が活発になってきているなぁということです。世間でもブラック企業の劣悪な労働事情がやたらとバッシングされていますし、政府主導で躍起になって非正規労働にもボーナス支給せよ!という流れを作り出そうとしています。あと、金曜日は早く帰れ!とかね。

でも、よくよく考えると、これって市場メカニズムに逆らう動きなんですね。政府の人為的な操作によって労働市場の構造を操作しようとする動きとみることができます。

もちろん、市場メカニズムは万能ではありません。政府の働き方改革が成果を上げるかもしれません。ですが、こういった一連の働き方改革の流れが、逆説的に生産性向上の芽を摘む力学を強化してしまうだけ、という可能性もよくよく考えておくべきではないかなと私は考えています。